市民の森ながの

雉に撃(打)たれる

2007/6/9 伊鍋 和治

一昨年の6月のことである。 実家の隣に住む一人暮らしのおばあさんが「今年は雉の声が近くで聞かれ、雄の姿をよく見かける」という。 確かに朝早くから「ケーンケーン・・・パタパタ(羽ばたく音)」とすぐ近くに聞こえ、姿もよく見せてくれる。のどかな故郷のありように癒される想いで居た。

山間地の田の土手は法面が大きくて勾配もきつい。 不自然な姿勢で刈り払い機を扱うから危険が伴い体力も消耗する。その作業中弟が「ひゃあ」と悲鳴を上げてヘタヘタと座り込んでしまった。

「やったか!、大変なことになったな」と思いながら駆けつけて見ると、なぎ倒した蓬の一群の上に鳥の羽が散らばっている。 弟は「鳥まで刈っちゃった」と青くなっている。 怪我でなくて良かったと安堵しながら裂傷死した雉を持ち上げると、乾いた草を上手に丸めた巣の中に卵が8個親の温もりを残したまま並んでいた。

「エンジンの音が近づいて来るのにどうしてもっと早く逃げなかったんだ、お前は・・・」と思いながら卵と一緒に埋葬 (?) したが、 身体を張り命をかけて子供 (卵) を守ろうとした雉 (雌) の執念に胸を撃たれ、その後の作業は重苦しかった。

それ以後、先ほどまでの雉の声がピタリと止み、姿も見せなくなってしまった。

長野でも、時々近くのりんご畑の方から雉の声を聞くことがある、その度に雉に撃(打)たれた胸が疼いて来る。