市民の森ながの
7000万年の時を経て 2008/9/7 絹川
8月末、私は木曽郡大桑村にある阿寺渓谷で開催された自然観察会に参加してきました。この観察会は長野県環境保全研究所主催の自然ふれあい講座のひとつである「自然史王国信州を歩く・渓谷編」です。 講師は地質が専門の富樫研究員と植物が専門の尾関研究員の2名が担当されました。
自宅を午前5時に出発し大桑村野尻に7時30分とかなり早く到着しました。8時40分、JR野尻駅前に全員集合して観察会が始まりました。 参加者は定員オーバーの20数名で大半は中高年で女性が優勢。 地域別には地元をはじめ白馬村、中野市、長野市、松本市、安曇野市からも参加されており人気の程がうかがえる。
場所を阿寺渓谷入り口に移して、今日の予定と注意事項説明の後、講座が開始されました。 眼前の木曽川を眺めて、隆起運動と侵食作用により作られた河岸段丘の説明を受けた後、いよいよ支流の阿寺渓谷の遡行が始まりました。 両岸がV字に切れ込んだ急峻な渓谷で、巨大な岩石が川の中にごろごろしており、その大きさに圧倒される。 前日までの大雨警報の影響で、かなりの水量であったが澄んだエメラルドグリーンの流れで美しい。 要所要所で川の中まで降りて岩石の説明がなされた。 白い岩石は深成岩の「苗木・上松花崗岩」で、灰色を帯びた岩石が「濃飛流紋岩」といい、今から7000万年前に形成されたとの事。この花崗岩と流紋岩はともに同じマグマが地下深くで固まったのと、地上に噴出して堆積後再溶結された違いがあり、共にこの地方の基盤となっている。
更に遡行を続けると川の中にある岩が小さくなり、谷が開け両岸の傾斜が緩やかになってきた。これは木曽川合流点から上流に向かって進んでいる侵食作用がこの地点にまで及んでいないことを示している。7000万年の時間をかけた侵食もここまでか?
阿寺渓谷にとどまらず木曽地方にはヒノキ、サワラ、ネズコといった貧栄養に強い針葉樹が自然植生の主要樹となっている。ブナ、ミズナラといった肥沃を好む広葉樹が主要樹の北信の森とはずいぶんと様相が異なっている。その原因は地質にあるとの事。
つまり、糸魚川・静岡構造線の西側である木曽地方は7000万年前の花崗岩や流紋岩が主体の古い岩石で作られている。 一方、東側に位置する北信地方はフォッサマグナの中にあり陸地化したのは3~5百万年前。 海底に堆積した火山の噴出物や陸化後の火山活動による溶岩や火山灰で作られた柔らかい地盤で出来ており、植物にとっては養分の多い地質となっている。やはり植生は温度と降水量だけでなく、地質の影響も大きそうである。
その他、洪水時に水につかる渓流植物は近縁種と比べて、葉を細長くしたり枝のつく角度を小さくする等の水流への適応を図っていると言う興味深い説明がなされた。
現在の植生が形作られたのが約1万年前ごろと言われており、植物の話は数年から数千年単位であるが、 地質の話は数千万年とか何億年とかと随分とタイムスケールが異なり面白い観察会であった。