市民の森ながの
ヒノキ苗づくり ― 失敗の巻き ― 2008/8/3 伊鍋 和治
郷里の実家の近くに昔営林署管理の苗づくり畑(大原苗圃と言っていた)があり、ヒノキ苗を主体に各種の苗木を大量に育成していた。 種まきから植樹出来る大きさになるまでの数年間育成して送り出していたが、その仕事は集落の人々の雇用先(日雇い)でもあった。
初秋には、父は営林署から依頼されて近隣の数人と組んでヒノキの実採集をし、 持ち帰った実から小枝などのゴミ取り作業を夜なべ仕事に手伝わされもした。
私も学生の頃、夏休みには苗圃の草取りのアルバイトに行き、 集落のおばさん達と一緒に真面目(?)に汗を流したものである。
4月に実家のヒノキ林の整理をしていて、木の根元近くに実生の苗が点在しているのに気づき、1年生から3年生位と思われるものを数十本採取して持ち帰り、借用している家庭菜園の一角に苗床を作って見た。 天気の良い日は散水するなど手を加えたが、日除けの手を抜いたため見事に枯れてしまった。
ヒノキはもともとある大きさになるまでは陰樹と言われている。 林内の木陰の涼しい所で生育していたものを、突然日当たりの良い畑に移されて、 日除けもなく強い日差しに耐え切れなかったものと思う。 可哀想なことをしてしまったと反省している。
大原苗圃はその後廃止放置されて荒野と化し、猿や猪の寝ぐら隠れ場所となっている。